関ジャニ∞の横山裕(本名は横山 侯隆(よこやま きみたか))と言えば、ムードメーカーで明るくやんちゃなイメージですが、その生い立ちや家族とのエピソードについては涙が止まらなくなります。
彼が産まれた時・・・・・。
その頃はまだ平和な家庭でした。
でも、そんな平和な家庭も長くは続かず、横山裕が3歳の頃、両親が離婚することになります。
3歳で両親が離婚って・・・・。
4歳になると、母が再婚するんですが、どうも義父が横山裕を邪魔者扱いにしたようで・・・・。
母もその新しい旦那が大事だったんでしょうね・・・。
後ろ髪はひかれたでしょうが、渋々横山裕を祖父母に預ける事にしたようです。
4歳で両親から捨てられてしまったも同然な環境っていったいどうなんでしょう・・・。
住むところが変わってしまった親はその後、6歳の時と8歳の時に横山裕の弟となる子供を産みます。
ですが、弟達は親と暮らしますが、横山裕は祖父母との暮らしです。
小さいながらに、「何故俺だけ・・・・」そんな事も考えてたんじゃないかな・・・・。
ただ、祖父がその後心臓病になるんです。
心臓病の祖父の元で横山裕を育てるのが困難ということになり、母親の元に返されます。
でも当然そこには義父がいます。
義父は横山裕とは血のつながりが当然ありませんからね・・・。
嫌だったんでしょう。
そこから虐待が始まります。
意味も無く棒で殴られる日々が続きました。
母親がかばってくれることもあったようですが、虐待は横山裕一人が受けていたようです。
そして、高校なんか行かずに働け!ということで、母親がジャニーズに履歴書を送ったところ、見事受かり、ジャニーズ事務所に入るわけです。
横山裕がお金を稼ぐようになった頃、また親が離婚します。
義父に食べさせてもらわなくても大丈夫になったから、離婚したのでは・・・・と言われています。
本当は母親も嫌だったんでしょうね・・・。
わが子をしょっちゅう虐待するような奴・・・・。
その後は横山裕が母親と弟達の生活費を稼いでいく事になるんです。
恐らく、この頃大変ではあったと思いますが、義父もいなくなり、開放感があったんじゃないでしょうか・・・。
相当貧乏っぽかったですけどね。
最初は・・・。
4畳半二間に家族4人。
トイレは和式のぼっとんトイレで、一番下の弟に「なんでうちはこんなんなん?」って言われて辛かったって言ってます。
「友達の家はみんな水洗なのになんでうちはこんなんなん?」って・・・・。
まぁ、でも、何はともあれジャニーズに履歴書を送ってくれた母親はグッジョブです♪
その後順調に活躍を続けていくわけですけど、横山裕さんが29歳、母親が50歳の時悲劇が起こります。
その時ちょうど青森でソロコンサートが行われる日でした。
コンサート開演4時間前にまさかの訃報の知らせを受けます。
なんと、母親が虚血性心疾患のため急死したんです。
スーパーに買い物に行った時に突然倒れてそのまま亡くなってしまったんです。
スタッフからはコンサートの中止も提案されましたが、横山裕は予定通り開催しました。
母親を思いながら歌ってたんでしょうね・・・。
途中から歌えなくなってステージで泣き崩れてしまったんです。
ちょうど「おにぎし」って言う母親に対しての歌でしたからね・・・・。
いろいろと思い出しちゃったんでしょうね・・・。
観客からは「えっ?どうしたの?」みたいな感じでざわざわになったみたいですけど、コンサートでは楽しんでもらわなきゃ・・・って事で最後まで母親の事は言わなかったみたいです。
でも母親が亡くなった後も弟達の学費をしっかり払ってお兄ちゃんしてましたよ。
母親の死は弟達もすごいショックだったみたいで、すぐ下の弟なんて、2年ぐらい記憶がなくなっちゃったって言うんだからね・・・。
大変でしたよね。
でも、弟達ともすごく仲が良くて、良く泊まりにもくるらしいし、3人でもよく遊びにいくみたいです^^
弟の記憶が戻ったのも3人で旅行に行った時らしいですしね。
また、母親のお葬式にはメンバー全員が参列し「これからはオレらが横山君の家族にもならなあかん」って事で結束力が更にあがったみたいです。
兄弟も仲良くなり、メンバーも仲良しで、辛いこともたくさんありましたけど、これからはもう幸せにいけそうですね^^
ほんと彼がいると周りがちょっと明るくなるし、大事ですよね^^