いまや押しも押されぬ人気となった久保建英選手。
この記事ではその久保選手を追っていきます。
私自身小さい頃からキャプテン翼の影響でサッカーに明け暮れちょうちょうさんば、じぐざぐさんばをしていた訳で、サッカーは大好きです。
サッカー部ではレギュラーになることは叶いませんでしたが、社会人になってからはフットサルと出会いまた新しい楽しみを得ました。
当然やるのも大好きなんですけど、やっぱりサッカー観戦は本当面白いですよね。
特に人を魅了させることができる選手が大好きです。
ミーハー・・・・というものかもしれませんが、いいじゃないですか。
やっぱり見ててドキドキするような選手は私は大好きです。
日本人選手でいえば、過去も振り返りますが香川真司、小野伸二、中田英寿あたりは私のお気に入りです。
世界的に言うと、ジダン、ロナウジーニョ、メッシ、イニエスタなんかもたまらないですね。
そんな中今最も気になる選手はやはり久保建英選手です。
小学生時代の久保くん
小学生の頃から注目されていまいたよね。
特に10歳の頃にバルセロナの下部組織に入団したあたりから・・・。
私が注目し始めたのはその頃でしたが、実はその前からも結構すごい事をしていました。
まずサッカーは3歳から始めます。
・・・というのも父が東京都稲城市の坂浜サッカークラブでコーチをしていたんですね。
そこで久保くんもサッカーを始めました。
そして、5歳になり百合ケ丘サッカークラブへ移ります。
更に小学1年生になり、地元の川崎市麻生区の「FCパーシモン」に入団。
そして小学2年生の時に見たパンフレット。
これが彼の今後の人生に大きな影響を及ぼしました。
そのパンフレットにはこういう1文が書かれていました。
『MVPに選出された選手はFCバルセロナと試合が出来るチャンスが与えられる』
というものです。
実は2007年から日本国内で毎年開催されているんです。
それを見つけたんですね。
当時、久保くんはバルセロナのロナウジーニョ選手のプレーを見てて、バルセロナの選手になりたい!と思っていたんです。
こういうチャンスを見事勝ち取るあたりがさすがですね。
更にそれだけではありません。
2010年4月にFCバルセロナスクール選抜としてベルギーで開催されたソデクソ・ヨーロピアン・ルーサスカップに参加しています。
この大会でFCバルセロナスクール選抜自体は3位でフィニッシュするわけですが、なんとこの大会で久保くんが大会MVPを獲得したんです!!
何がすごいって、通常MVPは優勝チームから選出されるのが普通です。
それが3位のチームから選出されるっていうのは相当目に留まったということですよね。
小学3年生で川崎フロンターレの下部組織に入団するも、当時のFCバルセロナのカンテラコーチであるオスカル・エルナンデス氏の推薦で2011年4月から3週間にもわたるバルセロナの入団テストを受け、見事合格するわけです。
正直自分の子供と照らし合わせて考えると相当すごいな・・・と感じます。
バルセロナの入団テストを受ける為に異国の地で3週間も・・・・でしょ??
今でこそスペイン語はペラペラですが、当時は全然わからなかったと思います。
本当にすごい!!
ただ・・・入団後は比較的早くペラペラになってます。(天才?)
インタビューの受け答えの内容とか見ても相当頭も良いですよね^^
2011年からバルセロナの下部組織に入団するわけですが、まだ10歳ですからね。
母親と弟と一緒に渡欧します。
そもそも外国人でバルセロナに入団するには13歳からという決まりがありました。
メッシも例外ではなく入団は13歳からでした。
しかし、久保くんは特別扱いを受けたんですよね。
9歳で合格しちゃうんですから・・・・。
ちなみに入団後初めてのシーズン(2011-12シーズン)で30試合中29試合に出場して43得点を記録し、得点王も獲ってます。
更に(2012-13)シーズンでは30試合に出場して74得点という驚異的な数値をマークし得点王をまた獲りました。
2013-2014年の地中海カップU・12トーナメントでは大会得点王とMVPに選ばれます。
半端じゃないですね。
ただ・・・。
次の2014-15シーズンでFIFAの制裁を受ける訳です。
FIFAの制裁!18歳以下の国際間移籍の禁止の抵触そして退団へ
クラブはFIFAから制裁を受けました。
久保の移籍はFIFAルールの第19項に抵触する為、FIFAは認めなかったんです。
そもそもFIFAはバルセロナに対して何度も何度も忠告していたのをバルセロナが誠意ある対応をしてこなかった為、この制裁を強行されたんです。
これは久保くんだけではなく他の各国から来ている選手達に対しても同様でした。
補強禁止処分とともに、この対象の選手達が18歳になるまでバルセロナのユニフォームを着て公式試合に出る事を禁じられたんです。
これもまた運命のいたずらですね。
だいたいバルサ以外の子達、例えばレアルの中井くんなんかもそういう意味では対象になりそうですが、ここで対象になったのはバルサだけです。
FIFAから相当嫌われてるんでしょうか・・・。
久保くんも当時その状況が早く改善される事をのぞみ、半年間は公式試合に出れない日々を過ごしながらバルサにいたわけですが・・・。
流石に練習試合だけでは耐えられない・・・。
そう思っても不思議ではないですね。
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その為、13歳にしてバルセロナを離れる事になってしまったのです。
帰国。そしてFC東京の下部組織へ入団
戻ってきた頃。
精神的にはやはり結構きつかったようです。
これはFC東京を別れる際のあいさつでも言ってましたね。
そんな時に支えになってくれたのがFC東京むさしののメンバーだと。
しかしそもそも一つ疑問があります。
なぜ、古巣の川崎フロンターレではなくFC東京なのでしょう?
これは単純に川崎フロンターレが嫌いになったとかそういう問題ではなく、FC東京がU23のチームがあって、常時J3のリーグ戦に出場できる環境があったからです。
なるべく上のレベルも高いところに身をおいて自分自身のレベルを上げていきたかったんでしょうね。
日本に戻ってきたからといってレベルが落ちる訳にはいかない・・・そういう強い思いがあったのではないでしょうか。
世代別日本代表をかけあがる
その後13歳で帰国し、FC東京の下部組織へ入団した後は世代別の日本代表に選出され活躍していきます。
13歳ながらまずはU-15日本代表に選出されインドネシア遠征に参加しました。
遠征1日目のインドネシアU15代表選では後半から出場するも1-2で敗戦。
遠征4日目のインドネシアU15代表との2戦目は後半56分から出場し、得点は無かったものの3-0で勝利を飾りました。
そして、遠征5日目の3戦目でhインドネシアのボゴール州の高校生チームU-18 PPLPD school of athleticとトレーニングマッチ30分3試合を行いました。
この試合では3本目に久保も出場しゴールも決めていきます。
この試合では自分に必要なのがフィジカルと走力だと分析していますが、今後の久保選手を見ていくと着実にレベルアップしていくのがわかります。
14歳になると更に飛び級となるU-17の代表入りを果たします。
サニックス杯国際ユースサッカー2016グループリーグ第2節で、U-17韓国高校連盟選抜と対戦し久保自身ゴールを決め3-0と完勝します。
先制点が久保でした。
その時の動画がこちらです。
3分23秒あたりからのコーナーキックを敵が頭でクリアしたボールに対してノートラップでシュートを叩きこんでます。
U-15日本代表でもバル・ド・マルヌU-16国際親善トーナメントに出場し、イングランド戦、フランス戦とゴールを叩き込みました。
こちらはフランス戦の動画です。
ゴールシーンは1分過ぎくらいからです。
15歳になるとFC東京でもU-18の所属選手となり、J3の第28節、AC長野パルセイロ戦で後半開始から登場し、15歳5カ月1日のJリーグ史上最年少出場記録を更新しました。
U-19の日本代表メンバーにも選ばれました。
その時の試合の動画がこちらです。
その後のスペイン語でのインタビューもかっこよかったです。
そしてU-20ワールドカップの日本代表メンバーにも選出されました。
初戦の南アフリカ戦では後半14分から出場し、後半23分に堂安律へ逆転の決勝アシストも決めました。
その時の動画がこちらです。
また、ルヴァン杯のコンサドーレ戦でJ1公式戦初出場も遂げています。
どんどんいきますね、ほんと^^
AFC U-16選手権にも参加し、大会得点ランキング2位となる4得点もあげました。
この3分30秒前後のゴールはメッシが得意なやつですね^^
そして16歳になり、FC東京とプロ契約を結びます。
代表ではU-17日本代表として第24回バツラフ・イェジェク国際ユーストーナメントに出場し優勝を決定づけるゴールも決めてます。
実に落ち着いていました。
2017 FIFA U-17ワールドカップでは初戦のホンジュラス戦を危なげなく勝利し、また、久保自身もゴールを決めています。
2戦目のフランス戦では1-2で敗れ、絶対に負けられない3戦目のニューカレドニア戦を1-1で引き分けました。
決勝トーナメントには進むものの、1回戦でイングランドと当たり、0-0のままPK戦までもつれこみ敗退しました。
2018年のU-19選手権では北朝鮮相手にグレートなフリーキック弾も決めています。
ワールドクラスですね。
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まさかのバルサではなくレアルへの移籍
私は最初このレアルマドリードへの移籍ニュースを見た時、また飛ばしニュースか・・・。
と思いました。
・・・というのも久保選手は絶対にバルセロナに行くと思っていたからです。
ロナウジーニョを見てバルセロナに行きたいと思い、それからがむしゃらにやってきて、まさかよりにもよってレアル??
そんなばかな!!
そういう思いは強かったです。
レアルへ移籍してしまったらその後バルセロナに戻るのも困難・・・。
まさか・・・・。
本当にびっくりしました。
お金に目が眩むような選手ではないし、代理人に騙されたのか?
最初はそういうことばかり考えていました。
ただ、いろいろとニュースが入ってくるうちに、そうじゃない事がわかってきました。
プロとしての可能性を、より早く・・そしてより強いところで・・・・。
そういう部分が見えてきました。
バルセロナに行った場合、少なくとも2年間はバルセロナBでの登録となって、トップチームでの活躍が遅くなってしまいます。
レアルの場合も最初はBチームながら、最初の1年、もしくはチャンスがあれば上にもあがれる・・・。
そういう部分に惹かれたんだと思います。
だったらしょうがないですね。
ファンとしても早く大舞台でみたいですし、これはこれで良かったのかもしれません。
いつかバルセロナでのプレーも見たかったですが、それは贅沢な悩みかもしれませんね。
だってレアルですもん。
バルサと同じ、もしくはそれ以上にすごいチームですよね。
そしてA代表へ・・・・
そしてレアルへの移籍発表直後!!
2019年5月23日、とうとうこの日がやってきました。
キリンチャレンジカップの日本代表に選出されたんです。
そして6/9のエルサルバトル戦に後半22分から出場し、A代表初出場を果たしました。
ゴールこそなりませんでしたが、ドリブルで沸かせましたよね。
こちらのシーンです。
40秒ぐらいのシーンです。
コパアメリカではゴールこそありませんでしたが、幾つかの見せ場をつくり、これからを大いに期待させるような内容でした。
こちらがその時のタッチ集です。
印象としてはフィジカルがだいぶ強くなってきたなぁ・・・という印象です。
これからどんどんまた面白くなってきそうですね^^
これからもどんどん追いかけますよ!!