多岐川華子さんと言えば、母が女優の多岐川裕美さんという事でおなじみですが、2016年4月、サンミュージックブレーンからサンミュージックプロダクションを経て、母の多岐川裕美が所属するトライストーン・エンタテイメントへ事務所を移籍した際に芸名を多岐川華子から『華子』に改名しています。
そう・・・・・・。
やはり母が多岐川裕美さん、と言うことでインパクトがあるせいか、どうしても父親の方がすぐには出てこない方も多いかと思います。
ただ、父親の阿知波信介さんも元俳優でした。
有名なのはウルトラセブンのソガ隊員役ですね。
他にもいろいろとやられておりましたが、俳優活動からマネージャーへ転身し、田中プロモーション副社長兼アクターズプロモーション副社長、兼アクターズエージェンシーの社長を務めていました。
1988年に娘の華子さんが生まれたものの、1997年に多岐川裕美さんとの離婚が成立しています。
また、晩年は病気に苦しみ体力、気力ともに弱ってきていたようです。
2007年の5月4日に鹿児島県の犬飼滝で自殺するわけですが、2004年に脳梗塞で入院後、死去まで高血圧に悩まされていました。
心が弱くなっていたんでしょうね。
自殺する一週間くらい前に、最後に娘の華子さんの声が聞きたくて、何度も電話したそうですが、当時、華子さんは面倒くさくて電話には出ず、自殺を知ってからかなり後悔していたようです。
阿知波信介さんは娘さんの事を心から愛していたようですね。
この電話に出ていたら、自殺しなかったんじゃないか?自分が娘だったらそういう思いをどうしても持ってしまいます。
彼女もずーっと苦しんできたんでしょうね。
2011年1月に俳優の仁科克基さんと結婚するも、2012年10月には離婚という、親と同じ道をたどる事に・・・・・・。
どうも結婚当初から性格の不一致を感じていたようです。
出来れば結婚前にそこは気づいてほしいところですが、結婚したからには早いうちに決断できてよかったのかもしれません。
今では志村けんの番組にも多く出演し、志村ファミリーとしてバラエティを中心にがんばってますよね。
父母の離婚から始まり、父の自殺、自身の離婚・・・・・・。
いろいろありましたが、そろそろ幸せになっても良いと思います。
今までがんばってきましたから^^